2018年9月27日木曜日

「娼婦は人類最古の職業」カストリ書房・渡辺豪×慶優TSレポ Part1

『復讐の赤線』原画展にて行われたトークイベントの模様をお届けします。

写真右から:
●渡辺豪(わたなべ ごう)…原画展の会場となった遊郭・赤線専門書店「カストリ書房」の店主。全国の赤線跡をめぐり、失われつつある赤線の記録と魅力を伝える専門家のひとり。
●慶優(けいゆう)…漫画家。代表作は『てんぱいっ!』『シガーホリック』。『復讐の赤線』では、ネームから線画までを手描き原稿、一部着色をデジタルで行う。

●聞き手…鈴木愛美(すずき めぐみ、編集担当


※()内は編集者の補足

―皆様、本日はお足元の悪い中、ご来場ありがとうございました。これより『復讐の赤線』ファンミーティングとして、トークショーとサイン会を進めさせていただきます


―まずは歴史上の「赤線」について、質問が多かったものを渡辺様におうかがいします

渡辺:渡辺と申します。私も赤線が好きで本を作ったり書店をやってますが、「赤線」の定義は難しいですよね。今回のような作品はフィクションなので、必ずしも史実通りじゃなくて構わないと思いますが、よりその裏側を知った方が作品の面白味も伝わってくるかと思います。

―そもそも「赤線」って、どう説明すればいいんでしょうか?

渡辺:結構それは難しくて……娼婦は「人類最古の職業」って言葉があるほど、売春って行為は自然発生的にこの世に存在しているんです。日本では遊郭がそうで、豊臣秀吉が京都に作ったのが歴史上最初の遊郭と言われています。
遊郭は太平洋戦争終結後、公娼制度(公に認可された娼婦の制度)の廃止とともになくなります。かわりに戦後翌年の昭和21年からはじまって昭和33年の「売春防止法」施行まで存在した、国が認める売春制度を「赤線」と呼びました。

→参考リンク:「24. 売春防止法」
赤線廃止までリミットは1年

赤線という言葉は、一説には警察が地図上の売春地域を赤い線で囲ったからと言われています。全国に赤線がいくつあったのか、正確な統計はないですが国内に800カ所あったとも言われてて、相当数があったんだろうと思います。今でいうコンビニみたいに、日本のどこにでも売春する場所があったってことなんですよね。

―赤線で体を売ってたのは女性だけですか?

渡辺:赤線というと女性だけです。ただ当時も男娼窟(だんしょうくつ)はあったのですが、それは上野周辺とか都市部のごく限られた一部の場所です。

―漫画では、ヒロインが赤線の娼婦とデパートに買い物に行くエピソードがあります。実際に娼婦たちは自由に外出や買い物ができたのでしょうか?

参考リンク:「15. 悪徳のめざめ」
いつの時代もデパコスは女性の憧れ

渡辺:一応、戦後日本では人身拘束は法律で禁じられていたので、制度上は自由に出歩くことはできました。ただ雇い主側からすると、自由に出歩かれて高飛びされたら借金を回収できないわけだから、店の手伝いのお婆さんとか男の人が同行したって言われています。またデパートで自由に買い物できたかというと、行ってもそこまで自由になるお金がなかったってことの方が正しいと思います。

―漫画では、(夢子が)デパートの化粧品を買いあさってます(笑)

渡辺:ああ……でも当時、化粧品をいちばん使ったのは、赤線ではなく街中で立ってる街娼、いわゆる「パンパン」と呼ばれた方たちだったようです。資生堂が出したネイルスティックという、爪に塗る口紅型の化粧品を頻繁に使ってたのも街娼だったと言われてます。

参考リンク:「21. 思いがけない訪問客」
「資生堂 爪紅」でググってみてください

―娼婦にとって化粧品は必需品だったんですね。ただデパートとか赤線の外での買い物は、店側の人間が逃げないよう見張ってると。ちなみに化粧品は自腹ですか?

渡辺:経費として支払われるわけじゃなく、ぜんぶ自腹ですね。むしろ、赤線の経営者が連れてくる業者から買うと、その商品代に手数料も乗っけられてしまうので、自分たちで買いにいった方が安かったと思います。

―世知辛いですね。また赤線で働く娼婦の身の上なんですが、自らの意志でこの職を選択したのか、あるいは生活に困窮してだったり、地方から身売りされてくるケースが多いのでしょうか?

渡辺:ほとんどの場合は生活苦ですね。戦後当時の状況を考えると、父親や兄が戦死して長女が働かなきゃならなかったり、戦争で夫を亡くした未亡人が子供を養うために働きに出るって人が多かったようです。赤線でも、自分の意志で働いているって娼婦は少なかったと思います。

―赤線は、遊郭の時代と違って自分の意志で店をやめたり、別の店に移ることはできるんですか?

渡辺:一応できます。戦後になると自由な考え方をする人が増えてきたので、嫌だったらパッと店を辞めて雲隠れしちゃう人もいたみたいです。
また、他の店に移ること……「住み替え」もできるのですが、そのときに手数料を払わなきゃいけなくて、それだと自分の借金が大きくなるだけなので。今でいう、とらばーゆ的に転職することが自分の経済状況の向上につながるとは限らず、むしろ借金が増えてしまう状況になっちゃうんですね。

―それは嫌ですね。ちなみに、娼婦は1日何人くらいの客をとるのが普通だったんでしょうか?

渡辺:店によります。儲かってる店は客も多いし、逆もあるので。記録に残っているのは、1日50人くらいの進駐軍を相手にした人もいたようです。

―1日で50人!

渡辺:たとえば江戸時代の遊女なんかも、それだけの人数相手では体が疲弊してしまうので、相手に気づかれないように手で射精させたり、いわゆる「遊女の手練手管(てれんてくだ)」を使ったそうです。赤線でも個人レベルでそういうテクニックはあったんじゃないかと思います。

遊郭・赤線専門書の店主で編集者の渡辺 豪氏

―店から引かれる手数料を考えると、最低でも1日10人くらいは客をとらないと生活できなかったのでしょうか

渡辺:だと思います。売上の配分は、戦後になるとだいたい半々ですね。経営者が半分、娼婦の取り分が半分。それが少ないかどうか、搾取されてるのかっていうとわからないですね。現代だって、会社で働く社員が売上をあげても給料が増えるわけじゃないし、売上の半分も給料もらえてるわけないですよね。
そう考えると、もしかしたら赤線の頃の方が(取り分が多いので)やりがいはあったんじゃないかと僕は思いますね。

―本作のヒロインは、戦災孤児で身寄りもお金もなかったので赤線の娼婦になりました。現実でも、お金も身寄りもなかったその頃の女性は、娼婦になるしかなったのでしょうか?

渡辺:当時のセーフティネットとして、売春以外に水商売も受け皿になってたんじゃないかと思います。スナックやバーで接客する仕事もあったようです。ただ結局そこまでお給料は良くなかったと思うので、もうちょっと実入りを考えたり、子供がいて自由な時間が取れないから短時間で稼ぐことを考えた場合、最後の砦みたいなところが「体を売る」職業だったんじゃないかと。

それ以外にも、地方から上京して行く当てもない女性が上野駅とかにいたりして、彼女たちをうまいこと騙して赤線に売っぱらっちゃう、いわゆる「ポン引き」と呼ばれる方たちもいました。世間知らずな人が東京に来て、気が付いたら赤線で働かされてた……なんてケースも多かったみたいです。

―ああ……。ところで、本作はフルカラー漫画なので登場キャラの髪や目をカラフルにしています。赤線の時代、実際に髪を染めている人はいましたか?

渡辺:ヘアスタイルのバリエーションに関しては、戦前からヨーロッパのスタイルが入ってきてたので、パーマなどは普通にありましたね。今みたいな綺麗なウェーブではなくてチリチリパーマみたいな感じでしたが。ただ、染髪の文化はあまりなかったので、娼婦に限らずその頃の女性で髪を染めるってことはほとんどなかったと思います。

フィクションです
フィクションです

―実際は、黒髪にチリチリパーマくらいだったんですね。また赤線の娼婦たちは、夜型生活だったんでしょうか?

渡辺:だいたい生活スタイルは逆転しちゃいますね。日が沈んだあたりからお客を取りはじめて……「ロング」と「ショート」という2つのコースがおおむねあって、ショートは1時間くらい客の相手をして、ロングはひと晩一緒に過ごします。翌朝9時くらいまでにお客さんを帰して、そこから遅めの朝ごはんをたべて寝ます。その後、夕方16時くらいに起きて、銭湯に行ったり身づくろいしたり、読書したりと自由時間が少しあって、また日が沈んだくらいから働き出す……というのがひとつのサイクルですね。

―作品では演出上、お客さんが娼館を訪れるシーンが多いのですが、実際は店の外で呼び込みとかをしていたんでしょうか?

わ:場所によるんでしょうけど、一般的に「牛太郎」と呼ばれる男の従業員が客引きして連れてくるパターンが多かったと思います。店の10メートルくらいの先で「かわいい子いますよ」って男性に声をかけます。もちろんそれだけじゃなく、女の人が店先に立って「いらっしゃい、いらっしゃい」って呼び込みすることもあります。


※(その後、イベントご来場の方に質問を募りました)

ご来場者様:私は沖縄出身なのですが、地元にそういう(赤線)雰囲気の街があって、人が立ってたり、中に小部屋があって女の人がいるという場所があります。今でも赤線って存在しているのでしょうか?

渡辺:ありますね。まだギリギリ。ここ20年くらいは「ウラ風俗」と呼ばれることが多かったですね。ただ質問者さんがおっしゃる通り、元々は赤線で、さらにその前には遊郭があった地域だったりします。全国に何カ所あるかはカウントしてみないとわからないですけど、いちばん最北では北海道の旭川、南は沖縄に存在しています。

また面白いのは、四国は県庁所在地に1カ所ずつ赤線地帯がまだ残ってるんですよね。四国というのは1988年に瀬戸大橋が開通してやっと地続きになった地域で。それまでガラパゴス状態で、他の地域とはひと昔くらい遅れてるような印象があるんですけど、本州では(赤線が)ほぼなくなったとはいえ、四国ではギリギリ残ってるみたいな感じです。
皆さんの中には、飛田新地(大阪市西成区山王三丁目。かつて遊廓や赤線があり、いまも売春宿が立ち並ぶ歓楽街)をご存知の方も多いかと思うのですけど、あのように(娼婦が)顔見せしてるようなところも四国にはまだ残ってます。

それでも、ここ10年くらいでそういう場所もなくなっていくと思います。

―やはりデリバリーヘルスとか無店舗型風俗が主要なサービスになっていく?

渡辺:そうですね。働く側からしても安心して働きたいというのもあるでしょうし、お客の側からしてもアンダーグラウンドなものよりは、ちゃんと認可を取っている風俗店の方が安心できるというのもあるでしょうし。


―そうなんですね。ためになるお話ありがとうございました


※後半は慶優氏にバトンタッチ、制作秘話に迫ります。


→トークイベント後半へ
「四角目は血統じゃない」カストリ書房・渡辺豪×慶優TSレポ Part02



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